よるの日記

みずの汚水バージョン

今日の体調について④ 2022.7.21

こんばんは、少し久しぶりの投稿。

 

目立って大きな体調不良は無かったので更新が止まっていた。

 

また、前回のカウンセリングで、カウンセラーさんにこの日記のアドレスを教えたのと、次回の診察からGoogleフォームに体調などを書き込むようにしてくれるらしいので、前より自分の状態を少しは理解して貰えるようになるだろう。

 

さて、今日日記を書いているのは勿論、体調が悪いからだ。

現在、私はテスト期間の2週間切ったところにいる。

そのため、レジュメを見返しているのだが、テストへのプレッシャーかソワソワしたり息苦しくて、勉強に集中できない。

また、勉強の内容が全く頭に入ってこない。これは単なる焦りのせいなのか、鬱のせいなのか。

 

主治医にあなたは能力はあるから、状態が整えればそれを発揮できると思う、という趣旨のことを言われた。

 

能力はあるかもしれないが、勉強集中するとこんな風に息苦しくなるし、そもそも勉強やる気ないし、ほんとに希望する研究室に行けて、希望する大学院に行けるかかなり不安。

 

彼氏や多分カウンセラーさんにも言われたのは、先のことや昔のこと考えすぎということだが、どうしたら制御できるようになるのだろう?

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今日の体調について③2022.7.12

よる。ヨル。夜。

 

夕方から夜になると私はどうもダメらしい。

 

午後5時、普通に勉強しているだけなのに息苦しくなり始めた。この症状は時々出てくる。

もしかしたら姿勢が悪いのかもしれないし、呼吸が浅いのかもしれない。

体勢を変え、深呼吸をしてみた。

あまり、効果は無かった。

 

好きなゲーム(sky)をして気を紛らわす。

多少、マシになった。

 

ということは心因性のものなのか。

しかし、特にこれといって嫌な出来事は無い。やはり病気のせいで、少しの刺激で体調不良起こしやすくなってるのだろうか?

 

私はどう夜を乗り切れば良いのだろうか。

 

いつか大丈夫な夜がやってくるのだろうか。

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今日の体調について② 2022.7.11

この日は午前病院、午後は授業とジムという充実した時間を過ごしていた。

 

問題は、夜に起こった。

夕方、彼氏に電話したら相手の声が不機嫌そうだった。不機嫌なのはお金絡みでどうしようもないことらしく、わたしのせいではないと彼氏は言っていたが、不機嫌そうな声の影響をモロにうけて過呼吸になってしまった。

 

私は、不機嫌な人間が怖い。理由は自分に八つ当たりされる可能性があるからだ。根源は親の態度だと思う。

幼稚園児の頃、父親と2人で留守番していた時、父親が何かについてひどく怒っていて、家の食器棚からお皿を引っ張り出し割り始めたのだ。部屋中にお皿の破片が散らばっていたことをよく覚えている。娘(私)に当たらないだけマシではあるだろうが、割るお皿の音が酷く怖かったし、自分も何かされたらどうしようという気持ちで部屋の隅に縮こまってた記憶がある。

 

お皿を割るまでは行かなくても、父親は不機嫌になると拗ねたり、「○○すればいいんだろ、○○すれば」のようなことを言い全く建設的な会話ができない。

 

私は出来るだけ父親を刺激しないように今まで生きてきた。不機嫌になったら内心ビクビクしながら出来るだけ黙り、話しかけられたら父親に同意するようにしている。

 

今回の彼氏との一件も、不機嫌な態度で接せられてどうしていいかわからず怖かったという気持ちからのものであると思う。

 

ただ、彼氏と一緒にいるには、そういうのにも慣れていかなきゃいけないと思うが、どうしていいのか分からない。

彼氏に「いつか同棲したい」と話したら、理由の一つに「それは俺に怒るな(負の感情を出すな)と言ってることになるからやだ」「一人なら周りに気を遣わずいくらでも不機嫌になれる」「一人の方がいい」と言われてしまったので…。

 

今日の体調について①

こんばんは。

診察のメモかつ、一日を振り返って少し日記を書いてみようと思う。

 

いきなりだが、私は昨日ワイパックス5錠でODをした。体を引っ掻き、夜の山を徘徊した。

理由は進路の不安からだ。先日は学会の若手の会に参加した。みんな周りは、研究している学生ばかりで、みんな研究を楽しそうに語っていた。自分は正直、研究者になりたいと思いながらもそこまで研究好きになれる自信もなく、現に夢を叶えようとする努力(勉強など)を全くやってない。

キラキラしてる彼らと何も出来ていないし分野的にもよそ者の私は辛くなってODし、夜の山を徘徊して彼氏に警察呼ぶと言われてやっと家に帰った。こういうことをするのも、BPD傾向があるのかもしれない。

 

ただ、ODしても特に症状はなかった。もっとたくさん飲めばふわふわするまたは気分悪くなるんだろうが、何も起こらなかったので、やった意味無いのじゃないかと虚しい気持ちがある。

もっとお薬飲んで苦しくなるまたはふわふわしたい。

 

今回のことはODするトリガーとなっただけで、普段から勉強のことなどで苦しい。

大学行くのが心理的に何となくしんどく、行けない日も結構ある。


けど将来のためにいい成績取らなきゃというプレッシャーがある。

夢があるくせに、勉強やりたくなく、出来ていないのでそれもストレスや自己嫌悪になって焦り、ODや自傷をしてしまう。

 

休学や入院のギリギリのとこで生きてる気がする。はたから見たらどうなのか分からないけど。先生、どうなんでしょうか、?

薬である程度症状は抑えられていて、能力はあるので状況は悪い訳では無いのに凄い気持ち的に苦しい。

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自分の状態について(2022.4〜2022.6)

さて、そんなこんなでやり過ごしながら大学3年生に進学した。

 

最初は何とか過ごしていた。だが、4月後半から徐々に体調が悪化して行った。

今まであまり無かった「不安」という症状がでてきた。元々、塾講のバイト前になると息苦しくなったりドキドキしたり不安になったりしていたのだが、何とかやり過ごせる範囲だったので無視していた。しかし、それが少し酷くなっただけでなく、色んな状況に対して不安を過剰に感じるようになったのだ。

例えば

目の前の人が咳やくしゃみをしただけで吐くんじゃないかと思ったり、

人が下を向いたり止まっただけで倒れるのではないかと思ったり、

安全運転をするリラックスできていた親の運転でさえ事故るのでは無いかとヒヤヒヤしたり。

そんなこんなで神経をすり減らしていった。

病院に相談すると、メイラックスが処方され、少しずつ不安の閾値は下がっていった。

 

だが、5月には鬱や眠気が酷くて(眠気はメイラックスによるものだと思われる)布団から殆ど動けない日々が時々出てきた。しんどくて、病院に5日に1回ほど電話していた。

 

また、ちょうどその弱っていた頃に男友達に寝盗られた。私自身、弱っていたので体を許してしまったのだ。その子とはそれが原因で結局先輩を介して縁を切ってしまったので、あの時ちゃんと断っていたらと悔やむこともある。

 

その事も精神に負担をかけていたのだろう。病院に電話する頻度が増えた。

ある日、病院に言われた。

「だいぶしんどそうだね。暫く入院しましょう。」

その二週間後には学会があり、それまでには退院したかったためひとまず期間は1週間とした。

 

入院するにあたって、親を説得しなければならなかった。親をとっくに信用してなかった私は、病気のことさえ話したくなかったがお金がないので話さざるを得なかった。だいぶ揉めた。

病院の人を介しやっと親を説得出来たが、やはり退院した今も納得していないようである。

 

さて、入院生活について少し話そう。

患者さんの年齢層は60-80代の人がおおく、

6時起床、9時就寝、お風呂は1週間に2回、そんな生活だった。

ご飯とお風呂の時間以外は基本暇だった。私は自分のベッドで本を読んだり、携帯見たり、写真整理したりして過ごしていた。

また、ご飯が意外と美味しかった笑

内科系ではなく精神病院だからか、味付けを薄くしたりする必要は無かったのかもしれない。

1番美味しかったのは麻婆茄子だった。

 

また、カウンセラーさんからノートを貰い、日記を書いていた。なので詳細はここでは省こうと思う。

 

夜中眠れない時は看護師さんとお話したり、不安の発作が出た時は直ぐに看護師さんまたは担当医に相談できる環境はすごくありがたかった。

 

そんなこんなで1週間過ごした結果、看護師さんやほかの患者さんとも仲良くなり、体調は結構落ち着いたように思う。

 

それからの学会も体調不良に襲われることも無く楽しめた。

 

そして6月である。

学会も終わり、実験に追われ、日常生活が戻ってきた。入院前と同じで大学に行けない日もあるし、鬱でしんどい日もあって何とか生きている、それが今の自分の状態である。バイトも再開出来てないのでお金は減る一方。バイトを再開して体調不良になったり、オーバーワークになるのが怖くて踏み出せないでいる。

課題をなあなあでこなし、休学とか留年のギリギリを生きている感じである。入院したままのほうが良かったのか、疑問を感じている。

このまま生きていける気がしないのだ。

先が怖い。

私は大学院に行きたい。

でもなかなか勉強ができない。

そんな自分に嫌気がさし、行きたいと思えない。

病院が落ち着く環境であったこともあって、戻りたい気持ちもある。

そんな感じで今の大学生活を私はどこまで乗り切れるのだろう。

とても怖い。

自分の状態について(2021.9-2022.3)

さて、レクサプロとアリピプラゾールを処方されて2ヶ月ほど経ったころある事件が起こる。

 

その頃、私に好意を抱いていた男の子に寝盗られそうになったり、セクハラ発言をされるようになってメンタルが凹むことが続いていた。

 

その日、私は我慢の限界に達し、「もう関わらないで」とラインを送り、ストレスのあまり生まれて初めてリーゼでオーバードーズをした。確か9錠くらいだったとおもう。オーバードーズにしては少ない方だけど、初めて「トリップ」というものを体験した。私は記憶はないのだが、その後友達と電話して「アイツのLINEブロックしたったわw」みたいに言っていたらしい。

 

抗不安薬睡眠薬オーバードーズすると、ふわふわしたり気持ちよくなったりすること、また飲みすぎると気持ち悪くなったり息苦しくなったりするらしいが、まだその時から今まででその域には達したことは無い。

 

記憶があるのは翌朝からで、多分電話をした後その後薬の眠気に抗えずに寝てしまったんだと思う。

 

その時のことを主治医に言うと「トリップしちゃったんだね。そういうこと続くとこちらとしても薬を処方できなくなるからやめてね」と言われたのは覚えている。

 

ただ、自暴自棄になるとリストカット自傷行為をしたくなったのは元々あったが、それに加えてオーバードーズしたいと思うようになった。

それから少量(~5錠)ながら度々繰り返すようになった。

後にも先にもトリップしたのは最初の1回だが、どこかでまたトリップしたい、とか気持ちよくなってみたい、という感覚がある。完全に依存状態になっている。今も、ずっと。

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自分の状態について(2021.4-2021.9)

1年前にブログの更新を辞めたっきりだったので久しぶりに書いてみようと思う。

 

あれから、機能性ディスペプシアは恐らく完治した。

 

2021年4月、私は2年生となった。

引越しのためもあり、それまで通ってた消化器内科への通院をやめ、お薬を全く飲まない日々を続けていた。

一方で、新しい環境(寮)に入り、大学の勉強は難しく、友達もあまりおらず、当時の彼氏と別れ、大変な日々が続いていた。

 

中高からの精神の不安定は相変わらずだった。また、胃腸の不調は感じないものの食欲不振に陥っていた。

 

その頃、大学のカウンセリングでとある臨床心理士さんと出会った。

私は彼に「今の私を見て客観的にどう思われますか、病院行った方がいいでしょうか」と聞いた。

先生は「うーん、ちょっとしんどそうだね。無理していく必要は無いとは思うけど行ってみる?」とのことで、その先生の働く病院に行くことになった。

 

7月、それが今の病院との出会いだった。

前の消化器内科でレクサプロ(セロトニン再取り込み阻害薬)を処方されていたことを話すと、同じようにレクサプロを処方・カウンセリングで様子を見ることになった。

 

レクサプロを処方され、安定してご飯は食べられるようになったけれども、気持ち的にしんどい日は度々あった。

 

9月、あまり病気の改善が見られなかったのでアリピプラゾール(エビリファイドーパミン受容体部分作動薬)という薬を処方されることになった。

これは双極性障害統合失調症にメインに使われる薬だったが、うつ状態の改善が見込まれない場合にも使われることがあるという。私の場合、鬱がそこまで改善しなかったため処方されたのだと思う。

それからが大変だった。

飲み始めは、足のムズムズ感、じっとしてられない感じに襲われた(アカシジア)

授業に行っても、90分同じところに座っているのが苦痛だった。

病院に電話すると、飲むのやめてくださいとの事だった。しかし、次回の診察でまた処方された。仕方なく飲んで見たところ、アカシジアはだんだん収まって行った。飲むのをやめてくださいと言ったことを先生は忘れてたのではないか?という不信感はあったが、今のところ体調の悪化は無かったのでそれで良しとした。

 

その二種類の薬とたまに頓服を飲む生活がしばらく続いた。精神の不安定は相変わらずだった。。でも飲まないよりはマシだったと思う。

その年の3月、薬をやめた頃、発作的な不安が襲ってきたり吐き気がしたり6月も食欲不振に襲われたからだ。

そのため薬を飲まないのが怖いのもあるし、私の体はもはや薬依存なのかもしれないが、医者の言うことを守るのが1番だと思って薬を続けている。

(続く)