よるの日記

みずの汚水バージョン

自分の状態について(2022.4〜2022.6)

さて、そんなこんなでやり過ごしながら大学3年生に進学した。

 

最初は何とか過ごしていた。だが、4月後半から徐々に体調が悪化して行った。

今まであまり無かった「不安」という症状がでてきた。元々、塾講のバイト前になると息苦しくなったりドキドキしたり不安になったりしていたのだが、何とかやり過ごせる範囲だったので無視していた。しかし、それが少し酷くなっただけでなく、色んな状況に対して不安を過剰に感じるようになったのだ。

例えば

目の前の人が咳やくしゃみをしただけで吐くんじゃないかと思ったり、

人が下を向いたり止まっただけで倒れるのではないかと思ったり、

安全運転をするリラックスできていた親の運転でさえ事故るのでは無いかとヒヤヒヤしたり。

そんなこんなで神経をすり減らしていった。

病院に相談すると、メイラックスが処方され、少しずつ不安の閾値は下がっていった。

 

だが、5月には鬱や眠気が酷くて(眠気はメイラックスによるものだと思われる)布団から殆ど動けない日々が時々出てきた。しんどくて、病院に5日に1回ほど電話していた。

 

また、ちょうどその弱っていた頃に男友達に寝盗られた。私自身、弱っていたので体を許してしまったのだ。その子とはそれが原因で結局先輩を介して縁を切ってしまったので、あの時ちゃんと断っていたらと悔やむこともある。

 

その事も精神に負担をかけていたのだろう。病院に電話する頻度が増えた。

ある日、病院に言われた。

「だいぶしんどそうだね。暫く入院しましょう。」

その二週間後には学会があり、それまでには退院したかったためひとまず期間は1週間とした。

 

入院するにあたって、親を説得しなければならなかった。親をとっくに信用してなかった私は、病気のことさえ話したくなかったがお金がないので話さざるを得なかった。だいぶ揉めた。

病院の人を介しやっと親を説得出来たが、やはり退院した今も納得していないようである。

 

さて、入院生活について少し話そう。

患者さんの年齢層は60-80代の人がおおく、

6時起床、9時就寝、お風呂は1週間に2回、そんな生活だった。

ご飯とお風呂の時間以外は基本暇だった。私は自分のベッドで本を読んだり、携帯見たり、写真整理したりして過ごしていた。

また、ご飯が意外と美味しかった笑

内科系ではなく精神病院だからか、味付けを薄くしたりする必要は無かったのかもしれない。

1番美味しかったのは麻婆茄子だった。

 

また、カウンセラーさんからノートを貰い、日記を書いていた。なので詳細はここでは省こうと思う。

 

夜中眠れない時は看護師さんとお話したり、不安の発作が出た時は直ぐに看護師さんまたは担当医に相談できる環境はすごくありがたかった。

 

そんなこんなで1週間過ごした結果、看護師さんやほかの患者さんとも仲良くなり、体調は結構落ち着いたように思う。

 

それからの学会も体調不良に襲われることも無く楽しめた。

 

そして6月である。

学会も終わり、実験に追われ、日常生活が戻ってきた。入院前と同じで大学に行けない日もあるし、鬱でしんどい日もあって何とか生きている、それが今の自分の状態である。バイトも再開出来てないのでお金は減る一方。バイトを再開して体調不良になったり、オーバーワークになるのが怖くて踏み出せないでいる。

課題をなあなあでこなし、休学とか留年のギリギリを生きている感じである。入院したままのほうが良かったのか、疑問を感じている。

このまま生きていける気がしないのだ。

先が怖い。

私は大学院に行きたい。

でもなかなか勉強ができない。

そんな自分に嫌気がさし、行きたいと思えない。

病院が落ち着く環境であったこともあって、戻りたい気持ちもある。

そんな感じで今の大学生活を私はどこまで乗り切れるのだろう。

とても怖い。