不安〜何が不安か〜
ようやく本題である。
体調不良からいったい私はどんな不安を持っているのか。
大きくわけて4つ。
軽いものから順にあげていこう。
1つ目はお金の問題。
秋より薬は減ってるものの、相変わらず通院をしている。月に3000円以上。めちゃくちゃ高い訳では無いが、体壊してまともにバイト出来てない人間には痛い。
2つ目は、そのまま、体調について。
薬のお陰で、酷く体調悪いことは最近は無いが、これ以上改善する気配もない。
薬を飲んでいて体調がいいので、試しに断薬してみたら、発作のように体調を崩してしまった。治ってないことを痛感してしまった。
それにまた悪化しないとも限らない。
3つ目は、希死念慮。
自殺企図があるとか、自殺未遂を図ったとか自傷行為に走ったとかそういう実際に行動が伴ったことは無いだけ安心なところはある。
ただ、ずっと影のように「死にたい」がまとわりついてくる。「死にたいなあ……」とぼんやり考えていて気が付いたらかなり時間が経っていたりする。私はよく、周りの人に行動が遅いと言われるのだが、その原因の一つにこれもある。何かの合間にふと、死にたいとか消えたいといった暗い気持ちでぼんやりしてしまって、気持ちを切り替えてやるべきことに取り掛かるまで多くの時間をとってしまう。
そして時々、恐ろしいほど死に魅了されそうになる。人が死ぬ話を見聞きしたり、お店などで刃物や薬が目に入った時、吸い込まれるような感覚になることがある。
1番酷かったのは、博物館の特別展で若くして自死した詩人の一生を見た時だった。最後に残した遺書の現物や、詳細な自死の方法や決行時などの記録があった。
その詩人の死因はODによるものだったのだが、博物館帰りに薬局で薬を大量購入したくなってしまったのが我ながら怖かった記憶がある。博物館には1人ではなく人といった事が抑止力になったものの、そうじゃなければ薬局に立ち寄り睡眠薬でも購入し、薬飲みまくってそうだった。
また、ある時は自傷欲が酷い時もあった。
私の場合、時たま自傷欲が訪れるが、数時間気を紛らわせていれば大抵落ち着く。しかしこの時ばかりは幾ら気をそらそうとしても落ち着かず、3日ほどほぼ常に自傷したくてたまらなくなってしまった。
ネットで調べた、氷を腕に押し当てる方法で何とか乗り切れたものの、自傷欲が消えるまで本当にしんどかったのを憶えてる。
つまり、ちょっとのきっかけでふらっと自殺行動に走りそうになるのが怖い。
4つ目は、病気に起因する周りの人間関係。
大学以降の体調不良に限った話だと、
体調不良により休学していることを知っていたのは
・履修している授業の担当の先生
・カウンセラーと保健室と学務課
・大学の先輩1人
・当時の彼氏と大学の友人1人
・高校の頃の友人2人(嫁含む)
更に、その中で病名やそれがメンタルに起因するものだと知ってる人は
・授業担当の先生のうち、特段仲がいい先生
・カウンセラーと保健室
・大学の先輩(その方もメンタル系の病気持っているので)
・高校の頃の友人2人(嫁含む)
幸い、コロナの影響で対面授業が少ないため、学校休んでることは周りの同級生にはバレていなかったように思う。
事務的手続きのためにも、学務課や保健室など大学側には自分の状態を把握してもらうのはいい。
授業担当の先生も。彼らは長年色んな学生を見ているはずだし、大人なので適切な距離を持って支援してくれるだろうし実際そうだった。(病気がしんどい時、話を聞いてくれた先生方は本当にいい人達ばかりだった!!)
問題が友人である。
何が怖いか。自分の状態を伝えるのがまず怖い。自分の意思ではどうにかできない、自分の「弱み」に対してどう思われるのか不安しかないのだ。
高三で体を壊して不登校気味だった時の話を参照してもらえると有難いが、
周りに訝しげな目で見られ、当時の友人にも担任にも理解されずどんどん孤立していった時のことが思い返されてならないのだ。
体調不良で休むことに対し最初は心配してくれるだろう。
しかしそれが続くとどうだろう?
「あの子なんで休んでるの」「ノートとか貸すのめんどくさいな」
と避けられるのではないか?
更にそれがメンタル系の要因だとなるとどうなるだろう?これは私の偏見だが、こういう病は人に理解され難く好奇の目を向けられ、「気のせい」「甘え」と言われるだけのように思う。
また、もしある程度理解してくれたとしても
すぐ死にたくなったり自傷したいとか言い出す人間と仲良くなりたい人間がいるのだろうか。
今はそばにいてくれても、内心どう思われているかなんて私には分かるはずもないのだ。デリケートな話になってくるだろうから、病気について詳しく聞きだそうとする人間はほぼいないのだろうけど、その分人に何を思われているのかの空白が怖い。内心引いて、避けてるのではないかと。
仲良くなっても
すぐ呆れられてしまうのでは無いかと。
すぐ捨てられてしまうのではないかと。
普段人と話す時は勿論こういう面は見せないけど、深く関わるようになったらいずれ話さなきゃ行けない。その時に傷つきたくない、と思ってつい何も無い振りをしてしまう。
そういう関係は平和だが、どこか虚しい。
不安〜大学編〜
前回はこちら
そんなこんなで半年、不登校気味なのが続いたまま卒業した。
やはり、第一志望は受からず滑り止めで受けた大学に行くことに。まあ、夏休みから殆ど勉強してなかったもんな。そりゃそうだろう。
最初は、進学した大学を嫌がっていたものの、
半年まともに勉強せずにいた自分なのに拾ってくれた、という気持ちに最近はなってきた。
過去問も入試直前に一回解いただけだし、大学のこと調べないままだったのに、何故合格できたのかよく分からない。
とはいえ、大学が好きなわけではなかった。特段自分の興味がある分野がなかったのだ。
また、コロナの影響で大学も授業が始まらず、始まってからも前期は全てオンラインだったので虚しい半年を過ごしていたようにおもう。
病気の始まり
テストが終わり夏休みに入った7月頃、体調に変化が訪れた。
腹痛が起きたり、異様に酷い便秘になった。
元々お腹強い方ではなかったが、流石にしんどくて病院に行って薬を貰った。過敏性腸症候群と言われた。高校以前からお腹は弱く多分そうだろうな、と思っていたので驚きはしなかった。
薬のせいかどうかは分からないが、その後1ヶ月くらいは特段酷い体調不良にはならず過ごせていたと思う。
後期が始まる直前、9月後半頃から
やたら直ぐにおなかいっぱいになるようになった。少しの量だけで満足してしまう。
最初は食が細くなった!痩せるかな!と喜んでいた。
しかし今思えば、これが病気の始まりだったのだ。
2週間ほど経って、それに加えて吐き気・胃痛・胃が重いなど、明らかに胃の調子が悪くなってきた。
この頃にはご飯が全く食べられなくなっていた。
流石にまずいと思い、病院に行った。
どうやら「機能性ディスペプシア」という病気らしい。簡単に言うと、ストレスなどにより胃の働きが悪くなる病気のようだ。
以下、参考サイト↓
機能性ディスペプシア(FD)ガイド|患者さんとご家族のためのガイド|日本消化器病学会ガイドライン
ストレスが原因のようだが、今も明確なストレス因が分からない。本意ではない大学への進学やコロナのせいなのだろうか。
メンタル関係の頓服
胃薬2種類
腸の薬
腹痛の頓服
など、色々処方された。
これは胃薬・腸の薬の写真
おかげで薬を飲み続けて2ヶ月程で、胃に関する不調は大体治った。
夏から秋で4kgほど痩せ、今はそこから2kgほど戻った体重をキープしている。
胃腸はほぼ良くなった。胃薬は飲まなくて良くなった。
今の問題はメンタルの薬である。
先日、体調良い状態が続いてるのでと、薬を減らしたら、出先で体調崩してしまった。
電車乗ってたら過呼吸なりかける
とか
とてつもない焦燥感・不安感に駆られ吐き気が込み上げる
とか
息苦しいさに襲われる
とか
病気のせいなのか元々なのか分からないけど
とか。
オレ、やべーじゃん。
病院でこれは薬をやめたことによる離脱症状ですか、と聞いたらフツーに病気治ってないかららしい。ぴえん。
ひとまず薬飲み続けるしかないらしい。泣いている。いつになったら元気になるんだろ。
不安〜高校の反省文編〜
前回の続き
遅刻して登校した昼、遅刻届を書く私を見ながら担任は、放課後に面談室に来いと呼び出した。
憂鬱な気持ちのまま教室へいき、友達B(反省文を書いたことがある)に反省文について聞く。
友達B曰く「担任優しかったよ!体調のことなら仕方ないしっていって代わりに反省文書いてくれた」
ほっとしてBに礼を言った。しかしこの希望は雲散霧消することとなる。
放課後、面談室に行った。
担任に原稿用紙を数枚渡される。
休んだ理由、反省、これからの改善点を書け、30分後に来るからと言われる。
無理だ。
休んだ理由はまだしも、何をどう反省したらいいんだ。改善点?改善できるなら今頃学校行けとるがな。
担任が代わりに書いてくれる気配があるどころか、体調不良だから仕方ない、とかこう書けばいい、とか言われることも無かった。
やはり理解してもらえるどころか、私はお荷物扱いだ。
誰にも理解されない体調。反省文に自分の状態や本心は書けない。
悔しくて涙が出そうなのを必死に堪えた。単なるズル休みや寝坊でもないのに、私はBちゃんと何が違うんだろう。何を書いたかはっきり覚えてない。
『過眠で起きられなかった、堕落した生活リズムを整えます』
そのような事を書いた気がする。
ただ、担任がそれを見て
『「過眠」なんて言葉は無いぞ。』
と言われ赤線を引いて書き直されたことだけはずっと記憶にある。
正しい日本語には「過眠」という言葉があるのか無いのかなんて分からないけど、
どこかで見聞きした言葉なのは確かだったし、
今ブログを書いてて変換候補にも出ている。何より、当時の自分の状態を表すのに一番ピッタリな言葉だったのだ。
過眠、という言葉を使うことでできるだけ自分の状態を嘘をつかず正確に書こうと思っていただけに、担任の言葉は心を抉った。
担任に色々訂正され、嘘だらけの反省文を提出したのは呼び出されてから2時間後だった。
11月。外はもう寒くて暗かった。
人に体調のことを理解されないだけならまだしも、反省文を書くということによって自分で自分に嘘をつく&それを形に残してしまったということで心が死んでいた。
思い通りにならない体調、そしてその為に受験近いのに勉強殆どできていないこと、恐らくこのままだと第一志望に届かないこと、人に体調不良も苦しみも理解されないこと、そして何より自分に対する怒りそれでいっぱいいっぱいで死にたくて仕方なかった。
封鎖され、いまや物置になっている下駄箱の隅でどうしたら楽になれるかかんがえていた。
ふと、カバンにあったカッターの存在が頭に浮かんだ。
左手首にカッターを突き刺した。血がいっぱい出た。少し落ち着いた。
もしコレを担任が見たら、慌てて止めるんだろうな。見て見ないふりをしたくせに。笑えてきた。
時計を見たら7時を過ぎていた。生徒の下校は6時半が門限。自分が学校残ってこんなことしてるのも知らず担任は既に帰ってるだろうな。と考えてみた。担任に対して、悲しい、とかざまあみろ、とか思うのかなと思ったけど、特に何も感じなかった。
そのまま物思いに耽ったり、相変わらず腕切ったりしてたら8時を過ぎていた。
そういえば、嫁が寝落ちして起きたらこの位の時間だったらしく、守衛さんにバレないよう窓からだっけ?教室を抜けて更にフェンス超えて帰ったとか言ってたな。
嫁より長く学校にいる時間更新してみようか。
腕を切るのはその頃にはどうでも良くなっていた。
それから30分たって
そのまま守衛さんが来たから帰った。
(終わり)
不安〜概論(?)〜
これは自分の体調不良に基づく不安についての話。自分のメモ用でもある。かなり長くなるし暗いので、読み飛ばしていただきたい。
大きく学校に行けなくなったことがあるのは2回。(ちょこちょこ教室まで行けてない時はあったがそもそも登校してないのはこの2回)
今回は1回目の一部を残そうと思う。
1回目は高3の時。
夏休みの途中から、徐々に何となく眠かったりして朝起きれなくなった。
最初は「休みだから、ついつい夜更かししたり遊んだりして生活リズムが狂ってるのだろう、学校始まれば嫌でも起きれるようになるだろう」と気に止めていなかった。
しかし、夏休みが終わってもそれは治らなかった、それどころか更に起きられなくなった。
もはや眠い・起きたくないなどではなく「起きられない」のだ。
どういうことかと言うと
朝、親が起こす声・目覚ましなどは耳に入ってくるのだが
どこか霞みがかっている。遠くから聞こえる感じなのだ。起きようとしても体が異様に重く、目が開かない。どうにも抵抗できず、そのまままた寝てしまう。
起きれるのは大抵10~11時頃。酷い時は正午過ぎても起きれなかった。
起きたら起きたで、遅刻して学校いけばいいものの、当時私は通学に1時間半以上かかっていた。
10時に起きたとして、準備をしていたら家を出れるのは12時頃。(どうにも起きてからも、起きれなかった事で悶々とし続けてしまって、気持ち切り替えて学校いこう!と思うにはもう時間がだいぶ経っているのだ)
そこから学校に着くのは13時半。5限の途中だ。
日によって何限あるかは変わるが、大抵6か7限まで。
もし学校行っても多くても2つしか授業が受けられないのだ。一コマ50分なので、2つ授業を受けても、通学の往復時間に満たない。それに午後の授業はあまり好きな科目はなかった。また、遅刻をすると何回目かで反省文を書かされる。
そう考えたら行く気を無くしてしまう。
結果として休みがちになってしまった。
遅刻して行く日もあったので、週に2.3回ほど学校に遅刻して行って、残りは休んでたような感じだった。
周囲の反応はというと。
親
「なんで起きれないの!このふざけ女。遅れてでも行きなさい。欠席連絡しないからね」←学校への欠席連絡は親が連絡する仕組みだった
当時何となくつるんでた同じクラスの友達A
最初は心配してくれたものの
「寝坊しすぎ」「また休んだの笑」
《同上》の友達B
特段触れてこなかった。(見ないふりしてた感じ)
嫁(隣のクラスの友達)
特段何か言ったりはしなかったけど、
休んでた分のプリント(隣のクラスだししかもメモ付き!!)をくれたり、何となくそばに居てくれた
担任
「……はぁ……(お前またかよ)」
周りの人から何となく、見て見ぬ振りをされていたように思う。
まず親に関してだが、中学の時に家庭内の事情で一度両親と別居してからあまり自分のことを話せなくなった。なので自分のことを理解されたくなかったし、理解されるのは諦めてたからいい。
友達Bに関しては、元々体が弱くて学校休み・遅刻しがちだったから多少は理解示してくれるかなとか思ったけどそんなこと無かった。それどころか見えてないように振舞っていた気がする。
一方で友達A(AとBと私でよく過ごしていた)はBが休んだ時は「大丈夫かな?」ってよく心配していたので、
「ああ、私のことはどうでもいいしバカにしてるんだろうな」と思ったのは覚えている。
そもそも、友達AとBと一緒にいるようになった理由は
私の親友が高二の時に3人一気に退学(病気などの為)してしまい、私が孤立してしまったからである。その時クラスで1番話しやすかった・話してたのがその2人だったのだ。
なので、特段仲がいい訳ではなかったので仕方ないなと思いつつも「あー……嫌いではないけど居心地悪ぃし虚しいな」と思っていた。
嫁
嫁がいなかったら私はもっと心が死んでたに違いない。自分の体のこととか殆ど話さなかったのに詮索もせずただ、そばにいてくれた。
ただただ楽しそうに一緒に学校探検してくれていた。その様子だけですごく救われたのだ。
担任に関しては
私の家庭の事情も分かっていたし、時々相談もしてたので自分の体調について話したもののあまり理解を得られなかった。あからさまに
「めんどくせえ、甘えるな」の空気を出していた。唯一頼れそうな相手だったので、頼りたかったけど頼れなかった。
結局遅刻が多すぎて担任に呼び出され反省文を書くことになったのだが、嫌な思い出が蘇る。
(続く)
いつか呆れられてしまうのではないか
いつか捨てられてしまうのではないか